不幸とは?幸福とは?アランの幸福論について~①
※前回までのあらすじ
唐突なヘラりによりあらゆることがしんどくなり(とくに漫画を描く)それじゃいけないと思いつつやっぱりできないので、せめて、普通の記事でも書いてみようと思い立つのでたった。
ということで、本日も漫画ないよ。( ;∀;)
漫画がないこのブログなんて、かつがないかつ丼みたいなもんだけれどね。
~アランの『幸福論』について~
皆さんはアランという人物を知っているでしょうか。
アランとは、フランス出身の哲学者です。
哲学には
アラン、ラッセル、ヒルティの世界三大幸福論というものが存在します。
アランの幸福論はそのうちの一つです。
まあ、知っていますか?と聞かれても普通しらない人が多いと思います。
そもそも哲学って?なんだし
というのがほとんどだと思いますし。
ちょっと哲学興味ある人とか、なんとなく知ってる人でも、
カントとかニーチェとかソクラテスとかアリストテレスとか・・・。
そんなんの名前を知ってるくらいだと思います。
その中で、自分が好きなアランの幸福論について書こうと思います。
そもそも哲学ってなんぞやって話もあるかと思いますけど、それはまたの機会に需要があったら書くかもしれません。
前置きは置いといて本編いきましょう。
第一章 「情念」
第一節 情念の存在
「『いらだつ』というこの言葉は、人に何かを考えさせる。いらだちはまた、その叡知において、情念のなかでもっとも激しいものを指しているともいえる。怒りにわれを忘れた人と、咳の発作に身を任せている人との間に大きな相違があるとは、ぼくは思わない。」(アラン,『幸福論』,岩波文庫,1998,pp.13-14)
いらだちというものは、身体の調子によるもので、出来事の良い悪いという感じ方は、体調によって左右されるものである。
怒り狂ったように体中をひっかくような咳をする人は、そうして疲れがどっと溜まりさらにいらいらする。
自分の考えは情念にひっぱられるものであり、情念によって病気をより悪化させるのである。
情念とは、怒り、悲しみ、不安、後悔、絶望、嫉妬、怠惰、などのふと沸き出る感情で、自分の考えを操ってしまうあの魔法のような力である。
例えば、夜に布団で寝転んでいるときになんの脈絡もなく唐突に過去の振られた体験を思い出して暴れる失恋した男のような、あの急に訪れる暴走した感情こそ情念の仕業である。
そしてどんな人間も情念を持ち合わせているのである。
情念は人を不幸にするもので、人を悪い気分にさせる。情念は人の病気を悪化させる。むしろ情念自体が病気だと言ってもよいだろう。
という感じで、大学時代に自分なりにまとめたアランの幸福論についての内容をシリーズ化していこうと思います。。。
調子が戻り次第、このシリーズは消え去るでしょう
たぶん・・・。